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井上さんが5月30日から6月11日まで 京都マロニエ画廊で個展を開催されています。

1 comment on 井上明彦「2と5,偶々たまたま

  1. ヒルとAI

    昨日6/3、閉館前に四条河原町のギャラリーマロニエを訪れた。
    井上氏の視線(2)と手わざ(5)による生の時間(偶々)が壁に並ぶ。
    ギャラリーに禅の空間が出現しているよう。

    「時間の陰翳」がイノチだと、最初に掲げられた作品がその趣意を伝えている。

    そこには、ヒルが進路を変える瞬間と、絵がまるで生きているかのように表面からめくれ上がる瞬間が提示されている。

    ヒルは生存のために、二酸化炭素と熱(動物の体温)を感知して獲物に近づいてくるという。吸血という生温かい出会い。
    生きて行くことからは必然的に出会いが生まれる。偶々、偶然という時間の奇蹟こそが美だと、生きている(死につつある)ヒトは、そのことを切実に「感じる」ことができる。

    生成 AI の出現によって、コトバ(テキストや映像)に対する不信、疑心暗鬼が人類の前途を脅かしている。

    井上氏によるブリコラージュの作品群は言わば「厚みのある表面」であり、「受肉 した物(ブツ)」を介したヒトとの出会いの場の提示である。

    AIが引き起こす分断を回避し、平穏な「生」の実感を取り戻すには、コトバというデジタル(非連続的)な虚構に振り回されず、未だAIに実装されていないアナログ(連続的)な五感と時間感覚の価値や、リモートやヴァーチャルでは得られない生身の人間同士の出会いの重要性を再評価しなければならない。
    そのような趣意と解した。

    井上氏は大学進学時に、建築か哲学か進路に悩んだそうだが、建築が出会いの場のしつらえだと解すれば、彼は常にコトバやモノやヒトとの出会いをテーマに現在に至ったことで、その垣根を軽々と超えていると思う。

    京都市立芸術大学の退官記念に上梓された、氏による書籍『つちのいえ 2008-2021』には、彼の歩みの一端が示されており、非常に興味深い。

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