坂爪厚生
同窓会は、下記にて開催予定です。
日時: 12月9日(土)14:30〜18:00 (搬出15:30〜18:00)
二次会(場所未定) 18:30~
開催場所: 養精堂画廊
画廊の住所や詳細情報: 養精堂画廊公式ウェブサイト(https://www.yoseido.com/)
追加情報: 画廊の場所については、東京アートビート (https://www.tokyoartbeat.com/en/venues/-/F1682570) のページにも掲載されています。
坂爪厚生
同窓会は、下記にて開催予定です。
日時: 12月9日(土)14:30〜18:00 (搬出15:30〜18:00)
二次会(場所未定) 18:30~
開催場所: 養精堂画廊
画廊の住所や詳細情報: 養精堂画廊公式ウェブサイト(https://www.yoseido.com/)
追加情報: 画廊の場所については、東京アートビート (https://www.tokyoartbeat.com/en/venues/-/F1682570) のページにも掲載されています。
東京の皆さんは既にご覧になった『坂爪厚生 銅版画展《白い闇-不確定性の風景》』が、京都でも昨日(2024/1/19)からギャラリー宮脇で始まりました。
毎度ながら、私の誤読印象記の書込みをお許し下さい。
闇から光を削り出すと言われる銅版画技法 マニエール・ノワールですが、それにしても光が多過ぎる。光の洪水です。
そして、相変わらず坂爪劇場特有の不穏さは漂っています。
この過剰な明るさは何を表しているのか。あらゆる事象が脱色された白けた世相?。意味・深度の欠如?。それともある種の軽みの表出?
1990年の《白のフォークロア》シリーズにその萌芽がみられる、黑を基本とする版画面への大胆な光の導入は、30年の歳月を経ていよいよ主客を転倒してしまったようです。
もはや光はモノの背景には居ない。作家は闇を背景にして光そのものを刻んでいる。光を背景にして光が闇を支配している。
光に価値があった時代を経て、かろうじて残る闇に価値が係留される現代。
「不確定性」という概念は難解過ぎて浅学の身には到底理解が及ばないが、私なりの解釈では、「不確定性」とは「(意志ある)偶然」であり、イマココで現前している状況、別名を「奇蹟」と呼ぶものではないかと思う。
いわば確固たる危うさです。
ドラマティックで底知れぬ不穏な世界観の表出から、陳腐なほどに平明であっけらかんとした韜晦へと、逡巡する作家の美を求める道程の現在地はある種の悟りの境地なのかもしれません。
そこには光り輝く「無」の「表=現」が確かに「在る」。
見る者の想像力が試される公案(謎)の数々。
「美」とは何か、「表=現」とは何か、銅版画という武器をたずさえて格闘し追求してきた作家の到達点。それは「出会い」なのか?
一期一会。作家の人生に影響を及ぼしたとおぼしき様々な「表=現」との出会いが刻まれている。
登場するのは、現代美術の源流を形成した後期印象派からシュルレアリスムの様々な美の形象たち。ゴッホ マン・レイ キリコ ダリ等々。
日本の美は銀閣寺や龍安寺の作庭術の中に「見立て」という抽象表現として残存する。それらの形象が持つ美の強度が記憶として刻まれ刷り込まれる。
今なお観覧者を呼び込み続けている、庭という地面に刻まれた版画がもつ美。
それらの形象が過剰な光の中で出会っている。
常に現在を、今を生きる意味の実相を銅版画に写してきた人生の先輩。
坂爪厚生という命の奇蹟が紡いで来た、あまたの表象が指し示すものは、自らが作りだす情報過多というエントロピーの増大に耐えられず、人類は内部から崩壊するのではないかという危機感なのかもしれません。