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大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ-3.11後の哲学』のなかの「Ⅱ原子力という神」で紹介されている「原則的にはpである、qは例外である」という原理。
原子爆弾による被爆体験を持つ日本人が、憲法や非核三原則で平和を希求しながら、なぜ熱心に原発建設に邁進してきたか。そこには、「一切の核に反対である。ただし原子力は別だ。」とする心情が背景にあった。
「原子力の平和利用」について、今更ながら歴史を振り返ってみると、1950年代の原子力についての特殊な状況が分かってくる。
朝日新聞が『市民のための原子力』というシリーズを昭和33年に出しているが、その当時は、ソ連が大陸間弾道弾の実験に成功し、第3次世界大戦が具体的な危機として実感されていたときであり、被爆体験を持つ日本人だからこそ、原子力を兵器としてでなく、文明の平和的な活用のために実用化することができる。という感情がその背景にあったようだ。
「一体改革」の議論をはじめとして、今日の各分野での議論も、こんなかたちで原則を守っているつもりで、なし崩しになってきていないか、冷静に考える必要があると思う。

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