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2002年4月28日
このホームページを作り始めたのが昨年の連休であったので、もう一年になろうとしている。本当に早いものだ。HP作成技術は一年前と比べてほとんど進歩していないな。もう少しイラストを増やしてにぎやかにするのも一つのアイデアなんだろうけれど、私の性格からして単純が一番というふうなのでそういう点では面白みに欠けるかもしれない。もう暫くこの線でいくつもり。
この連休は、美術部の古文書の整理をしなくては。
美術部OBとは言いながら、いまは私自身そういった創作活動は何もしていないので、少し反省。油絵とまでいかなくてもスケッチくらいはと思うけれども、なかなか普段の生活の中ではむつかしい。と、一言エクスキューズをいれて、さあ、連休で休もう。一日くらいは公園かどこかにスケッチにでも行くとするか。

2002年4月21日
人間のように2本足で歩くロボットが最近話題になっている。人間ばかりではない。魚の泳ぎをまねた魚ロボットを研究している人達がいて、実際にデモをしているのを見たことがある。尾ひれをくねらせてスイスイと泳いでいるのは何とも面白いものだった。開発者の弁では、魚のように海中を自由に泳ぎ回れる潜水船を目指しているのだそうだ。そのような実用でなくても、おもちゃとして商品化すれば子供たちが歓声を上げて楽しむことができそうな愛嬌のある物だった。
ここで、冷静に考えると、空を飛ぶ飛行機は決して鳥の羽の動きをまねているわけではない。バタバタと翼を動かして空を飛ぼうとした先人はすべて失敗の目にあっている。空気力学を利用して初めて空を飛ぶことが可能になったというわけだ。地上を走る自動車にしても獣の足を再現してドタドタと地面を蹴っているわけではない。自然界にはない車輪を使っているわけだ。それを考えると、海を泳ぐ魚の動きをそのまま真似をして本当に最適なのだろうかという疑問がわいてくる。すでにスクリューで推進する方式があるのだから、それ以上の何かがあるのだろうか?
こういう疑問も実際に魚ロボットを見ていると、まあいいかという気持になる。見ているだけで心が和むという「癒やし系」のロボットなんだろうね。
                                      
2002年4月14日
テレビのニュースで飛騨の高山祭りが報道されていた。今ごろの時期が春の祭りにあたるらしい。以前、高山観光に行ったときに山車を陳列している会館を見に行ったけれども、あまり感動しなかった。こういうものは、ただ静かに飾っておくのではなくて、実際に市内を練り歩いて初めて価値のでるものだろう。市中を流れる川にかかる橋の上を山車がゆっくりと通り、それを隣の橋の上からみるのが観光スポットになっているらしい。今日のテレビでもそのシーンを映し出していた。そういえば昔、村野守美の漫画で高山祭りのそのシーンを描いてあるのがあって、浪漫の雰囲気を大いに感じたものだった。
実家の方のお祭りでも山車がでる。この前の土日がそうだったようだ。子供の頃には綱につかまって山車を引いていたし、二十五の厄の年には山車の梶棒をかついだ。二十五の厄の男は前梶を、四十二の厄災の男は後ろ舵を、そして還暦は横からでた綱をもっているというのが昔からの習わしだ。いちばん大変なのは後ろ舵の四十二の厄の人達なんですね。山車の進路を実質的にコントロールするのは実は後ろ舵で、前舵の若者は単にはねているだけ。よくできたものだと思う。

2002年4月7日
今年の桜は早かった。染井吉野は散ってしまい、今はもう八重桜だ。東京での桜の名所は一に上野公園であるが、それ以外にも千鳥ヶ淵、井の頭公園などいろいろある。花見に出かけるのもいいけれども、雑踏を覚悟しないといけない。足下のよろつくお爺さんがいれば、泣き叫ぶ子供もいるような混乱の中で花を楽しみ、「今年の花は本当に見事だ」と感嘆できる精神が必要だ。
谷崎潤一郎の「細雪」の中で、芦屋から京都に花見に行く様子が書いてある。南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたためてから都踊りを見物してのちに祇園の夜桜を見て、次の日には嵯峨から嵐山を廻り、最後に平安神宮の神苑の桜を楽しむというような内容だ。平安神宮の西の廻廊から神苑に入ったところの紅枝垂が感嘆の声を誘うばかりと書いてある。平安神宮の中にそれほど立派な桜があるとは知らなかった。知っていたら学生の頃に一度くらいは見に行っていたことだろう。もっとも谷崎は俗塵雑踏のなかで桜を楽しむことのできる人のようだから、少しは割り引く必要はあるだろう。

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