記事検索

2002年8月25日
東北は山形県米沢の温泉に行った。宿を取った米沢市内には温泉はないのでタオルを一本もってバスに乗り、小野川温泉というところまで出かけた。平安時代の小野小町に由緒があるという温泉だそうだ。そこの共同浴場にはいると、熱い風呂なんだ、これが。我慢大会のようなものだった。一応目的を達してから夕暮れの川縁の道を散歩、するとそこに露天風呂があるのを発見。早速私も中に入ろうとすると、すでに温泉に浸かっているおじさんがはえ叩きを持ってなにか湯の中のものをすくい取っている。私も入ってからよく見ると、アリがあちらこちらに浮いていている。なるほどこれをすくい取っているのだと了解した。ここもたまらなく熱い湯なので早々に外にでて石の上で体を冷やしていると、虻がブーンと飛んできてまとわりついてくる。裸のまま逃げまどいタオルで振り払う。野趣にあふれる温泉というべきだろうか。
                                        
2002年8月19日
とうとうパソコンを更新した。5年前のパソコンはCPUが150MHz、ハードディスクは1.4Gバイトという性能であったのが、今度買ったのは900MHzのCPU、40Gのハードディスクだ。逆に値段は30万円から20万円に安くなっている。IT不況にもなるはずだ。これまでのパソコンでは、ハードディスク容量の不足によりプリント出力もうまくできず、このHPの更新もハングアップを繰り返しながらであったが、新しいパソコンはすばらしいの一言だ。インターネットからの画像ダウンロードもあっという間に可能だ。
OS
Windows 95からXPに三段跳び。XPには新しい機能として、パソコンシステムの設定を絶えず記憶していて、設定がおかしくなったら正常な時点まで遡ってシステム全体を復元できる機能が付いている。変なソフトをインストールして設定がおかしくなったときには、大丈夫な日付まで遡ってそこから再スタートすることができるという便利な機能だ。パソコンに限らず実生活においても何日か前まで遡ってそこから再スタートできると便利だろうにと思うときがある。

2002年8月10日
この前の恩師を囲む会の続き。
宴も終わりかけ、さあ歌でも歌うぞと
「新生の息吹に満ちていぶきに満ちてー」と応援歌を皆で唱和し、その後の2次会でも
「紅萌ゆる岡のはなー」と三高寮歌を肩を組んで高歌放吟、つづいて2番もいくぞと
「緑の夏の芝露にーー」
次は、琵琶湖周航歌だ
「われは湖の子さすーらーいーのーー」
とばかりに盛り上がった。
集まった中心の人達は学園紛争の経験者だ。その頃の人達はノンポリ学生も含めて大学というものについていろいろと考えたのだろう。きっと大学解体を叫んだ人達も裏を返せば母校愛を感じている人が多かったのでは。そもそも興味がなければ解体なんて叫ばない。シラケている人達は賛成も反対もしないものだ。シラケていない方が生きていて面白いのだが、時流に流されやすいのも確かだ。難しいものだ。
                                         
2002年8月4日
学生の時の研究室の恩師を囲む会があって、東京近在の卒業生が集まった。卒業生といっても私の数年先輩の人達が中心だから10名くらい、私は末席で目立たないようにしていた。要するに団塊の世代の人達であり、どうじに学園紛争を経験した人達でもある。恩師が一番張り切って仕事をしていた頃の人達でもある。今は東京在住であっても、生まれは関西という人が多いので、関西弁、京都弁で話がはずんでいた。
先生は77か78歳になるのだが、声に張りがあって相変わらずタフな人だと感心。色々と話を聞いていると、当時、助手をやっていたO先生は昨年急死、講師をやっていたH先生はこの3月に死去とのこと。助教授だったF先生は10年くらい前に急死している。このときの講座の先生で残っているのは教授をやっていた今回の恩師だけ。一番タフだった人がいつまでも元気だ。
それにしても、人生の持ち時間とは予測しがたいものだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です