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2002年9月28日
我が家の目の前には太い電柱があって、そこには電線、電話線などが何本もとおっている。とおっていると言うくらいの優しいものならば別に問題はないのだが、太い電線らしきものだけでも10本以上、それに細い線が4・5本からみあい、さらに我が家への引き込み線、隣家への引き込み線などがそれぞれ3本位ずつ張りめぐらされて、鬱陶しいかぎりだ。電柱がなければ青々とした空が一面に眺められるのに、視界が何分割にも妨げられている。たまの休みに部屋でごろんとしてふと空を眺めると、東京電力、NTT、ケーブルテレビのオンパレードというわけだ。まったくどうしようもないね。
京都の東山にある八坂の塔は風情があっていいところだけれども、そこには確か電線がすぐ近くを走っていたはず。せっかくの古都の風情も電柱のおかげで台無しになっていた記憶がある。いまでも多分そのままだろう。
風流の世界よりも現実の世界が大切だといえば、それまで。

2002年9月22日
ふらりと入った本屋で阿佐田哲也の「Aクラス麻雀」という文庫本が目についた。学生の頃の麻雀生活を思い出して冒頭を読み始めると、一読してただものならぬ気配を感じて早速購入。家に持ち帰り熟読すれば、麻雀の上級者とはこう打つものかとあらためて感心することばかりだ。
その中でわかりやすい上達法として、上がり役には、三色同順、タンヤオ、イーペイコウ、一気通貫をまず考えることというのがあった。逆に、一色、チャンタは狙わない方がいいのだそうだ。苦労の割に値段が安い、捨て牌に特徴がでやすい、作成途中で変化させにくいという欠点があるとのこと。学生の頃、混一色なんて役を喜んで狙っていたのが間違っていたとは。こんな簡単な原則も知らずに打っていたんだと、あらためてプロの知識に感心する。
この本を書いた阿佐田哲也も何年か前に亡くなっている。トップレベルの知識が雲散霧消せずにかろうじて本の形で伝えられたというわけだ。知識、文化の継承はどの分野であれ本当に大切なことだからね。
(ちなみに阿佐田哲也のペンネームは「朝だ徹夜だ」からきているとの話を聞いたことがある)
                                        
2002年9月15日
夏の暑さもようやく消えたころ、トイレに座った折りに便座の冷たさを感じて詠める
「秋きぬと目にはさやかに見えねども朝の便座にぞおどろかれぬる」
というわけで、夏のあいだ切っていた便座の温度調整を上げた。これからは温もりが欲しくなる時期だ。いわゆるウォッシュレットというのは便利なもので、外で大をしたときも水で洗い落とさないと何となく不衛生なような気がしてきている。
ところで、この一月くらい前から、電動歯ブラシを使い始めている。松下電工のドルツという製品だ。別に歯を磨くことができないほど体力が落ちているわけではない。このまえ歯医者にかかったときに「歯を丁寧に磨いてください」と言われ、歯周病ができているので自分としても気をつけたいと思っていたのだ。確かにきれいに磨いているような気がするが、本当に歯のためになっているのかどうかは何年か先にしかわからないのだろう。それにしても、こういうのは文明化というのだろうか、それとも単に退化しているというのだろうか。

2002年9月8日
私の版画コレクションの中に小林敬生と日和崎尊夫の小口木版もあって、ちょうど目黒区美術館で開かれている「線の迷宮-細密版画の魅力」という展覧会に二人の作品が出ているとのことで、先日の暑いさなかに汗をかきつつ出かけた。展覧会には、ほかにも柄澤斉、久保卓治、尾崎ユタカなどの作家のもいろいろとあった。銅版画のエングレーヴィングもそうだけれども小口木版も細かい作業の繰り返しだ。じかに彫っていると全体の絵の感じよりも手の先に神経が集中していくのだろう。芸術家と職人とのあいだを行きつ戻りつをして作品に仕上げていく過程には感心するしかない。それでも、作品のでき不出来があるのは世の定めだ。一見良さそうに見えても、毎日眺めていると飽きのくる作品もある。小林敬生と日和崎の作品とを並んで掛けておくと、どういうわけか小林敬生の作品に飽きがくる。決して小林の作品が劣るわけではないのに不思議なものだ。なぜそうなのか、この疑問をもっともらしく説明できれば美術評論家の誕生だ。
                                       
2002年9月1日
10分で1000円という床屋が目に付くようになっている。試しにこの前トライ。待っている人が多いので待ち時間だけで30分くらいかかってしまうが、散髪そのものは確かに10分で終了。もちろん髭を剃るわけでもないし洗髪もしない。掃除機を大きくしたようなホースが上から降りてきて、切った髪を吸い上げてきれいにするだけだ。ふつうの床屋ならば4000円近い料金なのだからずいぶんな差だ。できばえも別に不満があるわけでもない。床屋によっては、タバコをサービスして待っている間自由にお吸いくださいとしているところもあるけれども、ピントはずれのサービスというべきだろう。時代の流れというのは無いようであるものだ。
時代が流れれば年もとる。私の髪も、散髪をどうしようかという心配があるだけまだ安心というべきだろう。

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