2003年09月28日
17世紀にイタリアのボローニャで活躍したGuido Reni(グイド・レーニ)という画家がいる。聖書に題材をとった絵が多く、特に女性の艶やかな雰囲気がなんとも言えない印象を与える画家だ。昔その画家の作品を見て感心してしまい、それからグイド・レーニという名前を注意するようになった。この前の連休にイタリア駆け足旅行をしたとき、たまたま入った本屋にレーニの画集があったので思わず購入。帰国してから眺めて楽しんでいた。
先日、これもたまたま上野の西洋美術館に入ったところ、その人の「ルクレティア」という作品があった。2001年の購入作品だそうで、元は個人蔵であったらしい。さらに調べてみると、都立図書館にレーニの全集があることがわかり、市立図書館を通して借り出してみる。イタリアで買い求めた画集と比較してみると、3枚の絵で左右が逆になっているのを見つけた。左右逆の絵を見てもどちらが正しいのかわからないというのも困った話だ。
2003年09月21日
同期の橋本が死んだ。
九州は東筑高校の出身で、最初は吉田西寮の相部屋で学生生活をスタートし、その後、教養部近くの吉田東寮に移り住みそこの個室に暮らしていた。
当時は学生運動の名残があって、特に寮生達はその傾向が強く、橋本の部屋にも黒く塗られたヘルメットが置いてあったりした。学生らしい堅い政治論や革命論を学んだのもこの吉田寮においてだろう。そしてサークルは美術部。絵を描くこともさることながら、コンパや京女絵画部への勧誘などでは率先して動き騒いでいた。橋本にとって学生時代の思い出は、この吉田寮での生活と美術部活動の2つだろうと思う。そして生涯この2つの思い出から逃れることはなかったように思う。私の印象では、学生運動でデモに参加するのも一種の格好良さから、そして油絵を描くというのもその延長の格好良さからというようなところが感じられた。
卒業してからはコンサルタント会社に就職、その後独立して青年実業家としてコンサルタント業を開業したものの、時代は不景気に真っ逆さまに雪崩落ちるという逆境となり、それに歩調を合わせて酒に浸ることが多くなったようだ。この当時の様子は詳しくは知らないが、大変な状況だという噂はときおり耳にしていた。
この前の7月に珍しく電話がかかってきて「いま小倉に戻っている。もうじきオレは死ぬからな、美術部OB会のあとを頼むぞ」と言っていた。病院にかかるつもりはないとも言っていた。もう少し現実を直視して体を治した方がいいんではないか、という話をしたものの結局このような死を迎えるに至ってしまった。それにしても残念な早い死だと思う。ひょっとして、酒を飲み過ぎて若死にするというのも格好良いと思っていたのではないだろうか、そんな気がしてならない。今はただ合掌のみ。
2003年09月14日
先週は仕事でスペインに出張。慌ただしい日程で疲れた。パリ経由であったのでぼんやりと次のフライトをパリの空港で待っていると、グループツアーらしい日本人の女の子の携帯が鳴り、「あ、お母さん?・・・」と話をしている。後で聞いてみるとJフォンを使って日本のお母さんと話をしていたとか。携帯を使えば日本でもヨーロッパでも関係ないという感じだ。
帰りの飛行機の中にはペットの犬を連れた若い女性が隣に乗り込んできた。エクストラ料金は払うにせよ、ペットも連れて海外旅行に行けるらしい。鞄から顔をだした可愛い子犬だった。それにしても、若い女性は海外旅行といって身構えるところがないのだなあと改めて感心。
最近のコメント