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2003年11月30日
所用があって慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスに行って来た。未来志向の大学のあり方を模索してこのキャンパスが開講したのが1990年、今は木々も茂りキャンパスらしさが整ってきている。しかし、訪問した教授に聞くと、研究費は年間わずか20万円しか支給されないので、自分で受託研究なりを探して実験の費用をまかなわなければいけないとか。さらに、
「実験室の占有スペースにあわせて毎月使用料を大学に払わなければいけないんですよ」
という話を聞いて驚いてしまった。なるほど研究費を節約しているのか、狭い部屋に学生がかたまって実験をこなしていた。そこまでやるのが未来型の大学なんだろうか。
                               
2003年11月24日
この初夏に挑戦して失敗した二十日大根にこの秋も再挑戦。培養土を買ってきてプランタに種を蒔き待つこと1ヶ月。葉っぱが青々として今度はうまくいったとばかりに根っこを抜いてみると、大根とは名ばかりで直径が1センチにも満たないくらい細いままだ。ひどいのになると、ただの根っこに過ぎないくらいのものもある。どうして太らないのか不思議。放っておけば太るかと思っていたが、葉に青虫がついて穴だらけになってきたので、仕方なく今日全部抜きとって大丈夫そうなものだけサラダに切り刻んでおく。「二十日大根はなにもしなくても大丈夫だよ」という話を聞いていたのにどうも違うようだ。
ちなみに夏に植えたパセリは順調に育っていて、ときどきサラダに混じって食卓に乗っている。こちらの方が繁殖力があるらしい。

2003年11月16日
この前皆で集まったとき、農産物に詳しい丸山さんが
「アメリカからのオレンジやグレープフルーツはポストハーベストがひどくて、成田で輸入手続きを行っている職員は手の指紋が消えるくらいなんやて」
と言い始めた。(ちなみに、ポストハーベストとは輸送の際に使用する防かび剤などの類をいう。)わたしはグレープフルーツが好きで毎日のように食べているけれど、皮まで食べているわけではないので大丈夫だろうと思っていたら、追い打ちをかけるように
「果肉にも染みこんでいるので皮をむいてもダメなんよ」
と言う。そうか、そうなのか。その話を聞いて以来、グレープフルーツはやめて国産のリンゴ、ミカンを食べるようにしている。インターネットでポストハーベストの項を検索すると、予想以上にひどいもののようで、なにも知らずに「さすがアメリカの果物はうまいなあ」と言って食べていたのが怖くなる話だ。
                                
2003年11月09日
京都は蛸薬師通り堺町東入ルにある「豆菜」という和風料理屋の2階座敷において、昨夕、橋本純氏を偲ぶ会が開かれた。松本さんの幹事で進行し、勝間さんの乾杯の音頭で会は始まった。集まったのは総勢14名で、皆しめやかに故人の想い出を語り、また、互いの旧交を温めた。私にとっても卒業以来初めて会うという人も数人いた。その会がひけてから三条河原町にあるロイヤルホテルのラウンジバーに席を移し水割りを飲みながら深夜まで語りあった。
また、皆が集まる機会があるといいねと言いつつ、坂爪さんの展覧会があればいい機会になるだろうし、もしそうでなくても自分たちだけで作品を持ち寄って展覧会を開いてもいいなという話も出た。今回のような偲ぶ会で集まることは当分はないだろうし、あって欲しくないものだ。
今朝は一転して寒くなり小雨。京都の冬の時雨を思い出した。往復の新幹線の車中では、なかにし礼の「長崎ぶらぶら節」を読んだ。この本を読んでいると思わず涙するところもあって、情の深い味わいがある。昨日今日と、しんみりとした気持ちに浸った。


           

2003年11月02日
今度の8日に橋本さんを偲ぶ会が開かれることになり、私も何人かに電話して出欠の確認をした。奥さんらしき人が出れば
「あ、大学美術部のときの森田といいますが、ご主人いらっしゃいますか?」という受け応えで大体話が通じる。これが男性の声だったりすると、しかもそういう場合は最初の一声が簡単な場合が多いので、たとえば
「もしもし」という声で、つい
「あ、美術部の時の森田ですけどね」
と慌てて喋ったりすると、しばらくの沈黙の後
「・・・父はいま出かけておりますが・・・」
というような会話にもなりかねない。声が本当に似ている人もいたのだよ。同じような骨格の顔をしている人は声も似るものらしい。ということは、声が似ているのは父親そっくりの息子さんがいるということだろうか。うーむ、あいつにそっくりの息子さんとは・・・

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