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2008年08月31日
外国の航空会社からのメールが職場宛に2件続けてきた。どうも怪しいメールという雰囲気が漂っていたので開封せずに中身の確認だけすると、インターネットからの航空券販売が完了してアカウントが発生しています、という内容だ。航空便の詳細は添付ファイルを参照して欲しいということも書いてある。ますます怪しいとばかりに発信者のアドレスを確認すると航空会社とは縁のなさそうなアドレスなので早速削除。
数日して「オレのパソコンがどうも変なんだよ」という声が近くで聞こえた。話を聞いてみると、私の件と全く同じで、知らない航空会社からのメール添付ファイルを開けてウィルスに感染したらしい。本当に油断も隙もあったものではない。
               
2008年08月24日
この夏は短い休みを利用しての台湾観光旅行。真夏の太陽が照りつける南国の暑さの下、戦前の日本統治下の建造物、故宮博物院などを見物し、本場の小籠包、炒飯を味わってきた。町中を歩いていると歩行者用信号が一様に面白い。写真を見てもらえばわかるのだが、上の部分は赤信号に切り替わるまでの秒数、下の表示は歩行者が歩いている姿がアニメーションででている。赤信号が近くなるとそのアニメーションの動きがセカセカと忙しくなるというのが傑作であった。
    
   

2008年08月17日
最近は新書で面白いのがいっぱい出ている。この前読んだ「かなづかい入門」(白石良夫著)も読み応えがあった。著者の研究成果が溢れていて理解困難なところも多いのだが、日本語の発音が年代を経るとともに数が少なくなっていくという話が冒頭に載っている。奈良時代には日本語には88の音節があったのが、平安時代初期には73になり、11世紀以後には69となり、今では67になるらしい。わかりやすい例で言えば「ぢ」の音はいまでは「じ」の音で代用されてしまって区別がつかなくなっていると言うことらしい。「ゐ」の発音や「ゑ」の発音もなくなっている。
そこで、素朴な質問、「昔の日本人の方が複雑な発音をしていて、年を経るにつれて発音が簡単になるというのは信じられないのですが、本当ですか?」
本当に昔の日本人は微妙な発音までし分けていたのだろうかと大いに疑問。
                 
2008年08月10日
東京は上野で開催されている「対決巨匠たちの日本美術」を見に行った。最近は博物館も商売上手で話題作りが上手いものだと感心しつつ、人混みに紛れて鑑賞すると、宗達と等伯が特に素晴らしい。宗達はこれほどセンスが良かったのかと感心するばかりだ。しかし他の作家は並のレベルで感動はイマイチ。人いきれを癒すために外にでると、都美術館で「フェルメール展」をやっているのに気がついた。ついでとばかりとこちらも鑑賞に行くと、これがダメ。全然ダメ。フェルメールでも二流作品を展示しているので印象が薄いし全く感動しない。むしろ前座に並んでいたデ・ホーホの方がよかったくらいだ。
ということで、上野の休日の満足度は「やや良」くらいか。それにしても「対決巨匠展」の入場料が1500円、「フェルメール展」が1600円というのはどうみても高いとしかいいようがない。

2008年08月03日
暑い盛りに夜空を眺めて涼をとろうと思っても星はほとんど見えない。せいぜい2等星か3等星までくらいだろう。夏の夜を象徴する天の川といったところでどこを流れているのか全然わからないではないか。そもそも実際の天の川を見たことがあるだろうかと振り返ってみると、本当に子供の頃は別として大人になってからは記憶がない。数年前に米国の天文台を訪問したときにその山頂からうっすらと白く流れている天の川を眺めることできて感激したことがあるくらいだ。いまの東京では到底無理な話だ。
                 

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